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東京高等裁判所 昭和39年(う)999号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

<前略>控訴趣意第一点の(A)について。

論旨は、要するに、被告人杉山は原判示漁業協同組合の参事であるが、漁業協同組合の参事には水産業協同組合法第四六条によつて商法第三八条第一項・第三項の支配人に関する規定が準用され、その代理権に加えた制限をもつて善意の第三者に対抗することはできない結果、同人の作成した原判示約束手形はいずれも有効なものであつて、偽造とはいえず、滝島秀治の原判示手形作成行為も参事の代理としての行為であるから同じ理由によつて偽造罪を構成するものではない、というのである。

そこで、まず一件記録および当審で念のため事実の取調をした結果を総合して、必要なかぎりにおいて本件の事実関係を確かめてみると、被告人杉山は原判示神奈川県鰹鮪漁業協同組合の参事として正式に登記された職員で、同組合が組合員または準組合員のために振り出す融通手形の発行事務などを担当しており、原審相被告人滝島秀治は同組合の書記で、右の手形発行事務に関しては被告人杉山の不在の場合に同人に代つてこれを担当していたこと、同組合が振り出す融通手形はつねに同組合長寺本正市名義で振り出され、その振出にあたつては少なくとも同組合専務理事林信雄の決裁を必要とし、前記滝島はもちろん被告人杉山にしてもその一存で組合長振出名義の融通手形を作成することは許されていなかつたこと)被告人杉山の当審での供述によると、組合長および専務理事が不在の際同被告人の判断で約束手形を発行したことが一、二度あるというが、これものちに承認を受けうることの確実な場合に限られ、しかも現に必ず事後承認をえたというのであるから、このことは同被告人にこの種の手形を独断で発行する権限があつたことを意味するものではない。)、そして、同組合の準組合員であつた鎌田漁業株式会社は経営状態が悪く、そのため同組合の融通手形を発行することを林専務理事が到底承認しない状態にあつたため、同会社の専務取締役であつた被告人辻らが被告人杉山および滝島秀治に懇請した結果、被告人杉山および滝島はこれを承諾し、それぞれ同株式会社のため組合長または林専務理事の決裁・承認を受けずに独断で原判示のように組合長振出名義の約束手形を作成して交付したことを認めることができるのであつて、これらの事実については被告人らとしても別に争いのないところである。

これに対し、論旨は、これらの約束手形はいずれも有効なものであるからその作成行為は偽造とはいえないと主張しているので、まず順序として被告人杉山の作成した本件約束手形について考えてみるのに、前記のように同被告人には一存で組合の約束手形を発行する権限は与えられていなかつたのではあるが、論旨の指摘するとおり、水産業協同組合法第四六条によれば、漁業協同組合が参事を選任したときは参事には支配人に関する商法第三八条第一項・第三項の規定が準用され、この代理権に加えた制限をもつて善意の第三者に対抗することができないのであるから、同被告人の作成した組合長振出名義の原判示各約束手形も、あるいは善意の第三者との関係では私法上有効だと解する余地があるかもしれず、ことに、もしそれがかりに組合を代理する参事の資格で振り出されたものであつたとすれば、組合として善意の第三者に対抗することのできないものであることは疑いがないわけである。しかしながら、一方、刑法が文書または有価証券の偽造を犯罪として処罰している趣旨を考えてみると、文書または有価証券は社会生活特に経済取引にとつて不可欠のもので、それらはその作成の真正であることの信用を前提としてはじめてその意味を有するのであるが、もし真正に作成されたものでない文書もしくは有価証券が出現すれば、それ以外の文書または有価証券の作成に対する一般世人の信頼もまた動揺するに至り、その結果それらが社会において営んでいる機能を害するおそれがあることがその処罰の理由だと考えられる。そして、その作成の真正とは、それらがその名義人自身またはその代理人、代表者その他これを作成する権限を有する者によつて作成されることをいうのであつて、そのことは、刑法の偽造罪に関する規定全般の趣旨からして明らかである。すなわち、これによれば、刑法は文書または有価証券が作成権限のある者によつて作られたということに対する一般の信用をその偽造罪の法益としていると考えなければならない。さればこそ偽造か否かを区別する基準は一にかかつて作成権限の有無にあると解されるのであつて、一方において、いやしくもその作成の権限がある以上、たとえその権限を濫用して不正な目的たとえば名義人本人のためにするのでなく自己または第三者の利益のために使用する目的で文書または有価証券を作成した場合でも、その行為を偽造と目すべきでないことは、論旨引用の大正一一年一〇月二〇日の大審院刑事総連合部判決(刑集一巻五五八頁)の示すとおりであるし、他面、その権限のない者の作成行為であるかぎり、事情のいかんにかかわらずそれは偽造だといわざるをえないのである。それゆえ、その作成された文書または有価証券が私法上有効なものとして取り扱われるかどうかということも、その作成行為が刑法上の偽造にあたるかどうかということに直接影響するものではない。もとより作成の真正であることはその文書または有価証券の効力にとつてきわめて重要な点ではあるけれども、私法の面では、不真正すなわち権限のない者の作成した文書または有価証券であつても、取引の安全ないしは善意の第三者保護の観点からその効力を認める場合もあるのであつて(その一例としては、いわゆる表見代理人の作成した文書が有効とされる場合を挙げることができよう。)、それが有効であることが当然に作成権限のあつたことを意味するものではないからである。私法上の効力と偽造にあたるかどうかとを不可分のものとして考え、それが有効であれば偽造でないとする所論の考え方は、偽造罪の法益を前述のように文書等の作成の真正に対する社会一般の信用と解するのでなく、むしろ文書等が私法上有効であることに対する社会一般の信用をその法益と考えることによつてはじめて一貫するわけであるが、偽造罪の法益をそのようなものと解することが刑法の趣旨に合致しないことは、およそ無効な文書または有価証券を作成することを偽造として処罰しているわけでないことからみても明らかだといわなければならない。もつとも、この点に関し、前記大正一一年一〇月二〇日の大審院判決が理由として説示している中には、当該文書または有価証券が私法上有効であることを作成する行為が偽造にあたらないことがあたかも表裏をなすかのように読める部分があるが、その事件では被告人が個人経営の銀行の支配人としてその営業一切を担任しており、したがつて同銀行支配人名義で小切手を振り出し、また同銀行名義を用いて為替取引報告書を作成する権限を現に有していたことがその行為を偽造たらしめない真の理由であつたと解すべきで、このように文書等の効力が問題なのではなく、名義人との関係における作成権限の有無を決定的な要素と考えるのが判例の真意であることは、その後大審院が大正一五年二月二四日の判決(刑集五巻五六頁)において、株式会社の取締役が辞任後登記前に右会社常務取締役の資格で約束手形を振り出したのを有価証券偽造罪に問擬したことからも窮われる。けだし、この場合、取締役の辞任はその登記をしなければ善意の第三者に対抗することができないから、右の約束手形は善意の第三者に対しては有効であるのに、なおかつその作成行為を偽造にあたるとしたのは、取締役の辞任が対内的には意思表示だけでその効力を生じ、したがつて約束手形作成当時においてこれを作成する権限を失つていたことにその理由を求めるほかないからである。それゆえ、その作成した文書または有価証券が私法上有効であつてもこれを作成する権限のない者が作成した以上その行為を偽造と解することは、大審院以来の判例の趣旨となんら反するものではなく、本件における被告人杉山および滝島秀治の約束手形作成行為が刑法上偽造にあたるかどうかも、その私法上の有効性のいかんとかかわりなく、はたして同人らがこのような約束手形を作成する権限を有していたかどうかによつて決せらるべき問題といわなければならない。

ところで、文書または有価証券を作成する権限の有無は、もつぱら本人との間の対内関係の問題であり、しかもその権限の内容は個個の場合ごとに具体的に考案さるべき事がらである。したがつて、一般の場合にはこれを作成する権限のある地位にある者であつても、本人との関係でその作成が禁止されていれば、それはやはり作成権限を有しないことになるのであるし、また、代理人もしくは代表者としての資格で作成する権限は与えられているが直接本人の名義でこれを作成することは許されていないということもありうるのであつて、その場合には本人名義の文書や有価証券を作成する権限はないといわざるをえないのである(検察官が原審以来引用する大正一二年二月二日の大審院判決(法律新聞二〇九二号二一頁)において株式会社の取締役兼支配人がその資格で約束手形を作成したのを偽造でないとしながら、取締役社長名義の約束手形を作成したのを偽造だとしたのは、後者についてはその作成権限が与えられていなかつたからだと考えられるし、前記大正一一年一〇月二〇日の大審院判決において銀行名義の為替取引報告書を作成した銀行支配人の行為が偽造にあたらないとされたのは、そのような銀行名義の文書を作成する権限が現に与えられていたからだと考えられる。なお、未成年者の法定代理人が直接未成年者名を使用して約束手形を作成したのを有価証券偽造にあたるとした大審院昭和七年五月五日判決(刑集一一巻五七八頁)参照)。いま、これを被告人杉山の行為について考えてみると、なるほど同人は参事に選任された者であるから商法の支配人に関する規定が準用され、本来ならば組合に代つてその事業に関する一切の裁判上または裁判外の行為をする権限を有し、この権限の中には約束手形を振り出す権限も当然含まれているはずである。しかしながら、組合がその代理権に制限を加えることができることは商法第三八条第三項の規定からみて明らかで、現に被告人杉山の場合は、前に述べたところから明らかなように、自分だけの一存で組合の融通手形を振り出すことは許されていなかつたのである。したがつて、被告人杉山にはその参事としての代理権に大きな制限が加えられていたというべきで、融通手形の振出に関しては、直接組合名義をもつてするものはもちろん、組合参事名義をもつてするものについても、一切その権限がなかつたものといわなければならない。なお、この点に関し、検察官は、被告人杉山が組合長名義を直接使用した点を重視してその行為が偽造にあたることの根拠とし、もし同被告人が組合参事名義または組合名義で約束手形を作成したのであれば偽造罪を構成しないようにも論じている。これは、同被告人が組合参事として本来ならば一般的な代理権のあること、あるいは同人が代理人としてした行為が善意の第三者との関係で有効なものとして取り扱われることに着目したものと思われるが、これまで述べたところから明らかなとおり、問題の要点は同被告人に作成権限があつたかどうかにあるのであり、しかもその作成権限の有無は個別的・具体的に考えなければならないということだとすると、本件のように融通手形振出の権限が全然与えられていない場合には、被告人杉山にはその名義のいかんを問わずこれを作成する権限はなく、かりに組合参事杉山博信の名義をもつてしたとしても、やはり刑法上は偽造にあたると解さざるをえないのである。

かくして、以上説明したことの帰結としては、被告人杉山には原判示各約束手形を作成する権限はなく、したがつてこれを作成した原判示各所為は刑法上の偽造にあたるということになり、いわんや前記のように被告人杉山の事務を時として補助代行する地位にあつたにすぎない原審相被告人滝島秀治の原判示各約束手形作成行為が偽造にあたることは当然だということになるから、これらを偽造だとした原判決にはなんらその点で理由不備も法令の適用の誤りもなく、論旨は採用することができない。

控訴趣意第二点について。

論旨は、原判決が前記のように偽造約束手形によつて現金を騙取したのちに偽造約束手形を交付して前の約束手形の支払を延期させたのを前の騙取罪とは別に刑法第二四六条第二項の不法利得罪にあたるとしたのは罪とならない事実を有罪とした違法があるとし、その理由として、前の約束手形が偽造手形だとすればその振出は無効であり、手形所持人はいつまでも裏書人に対し求償権を行使することができるわけであるから、支払期日の延期による利益なるものはありえず、その延期を承諾させても、なんら新たな利益も損害も生じないから、不法利得罪は成立しない、と主張するのである。

しかしながら、刑法第二四六条第二項にいう「財産上ノ利益」は、法によつて認められた権利ばかりでなく、事実上の経済的利益をも包含するものと解しなければならない。そのことは、同条第一項が財物の交付を受けることすなわち財物に対する事実上の支配を取得することによつて詐欺罪が成立するとしていることと対応するのである。ところで、原判示各約束手形は刑法上偽造されたものと解すべきことは前に説明したとおりであるが、刑法上の偽造と手形法上の偽造とはその範囲が必ずしも一致するとは限らず、したがつて原判示各手形の振出行為の効力については別に検討を要するところであるし、そのことを別としても、本件においては当該約束手形に代えて新たな約束手形を差し入れ、その支払期日を延ばすことについて、鎌田漁業株式会社としては少なくとも経済上大きな利益を有していたとみなければならない。すなわち、原判示各約束手形は原判示漁業組合を振出人として作成されたものであるが、これらはすべて鎌田漁業株式会社に金融を得させるための融通手形で、満期となれば当然同会社がその支払の責任を負担すべきものであり、現に同会社の責任において事実上その決済を行ないつつあつたものである。もし同会社がこれを怠れば、組合幹部に内密に行なつていたこれらの手形による金融の操作が直ちに発覚し、同会社に経済上の破局を来たすことは火を見るよりも明らかな状態にあつたのであるから、同会社としては、原判示約束手形の支払の時期が延長されることに至大の利益を有していたものである。それゆえ、これらの約束手形の振出が手形法上有効であるかにかかわらず、その支払いが延期されたことは鎌田漁業株式会社にとつてまさに刑法第二四六条第二項にいう「財産上ノ利益」にほかならず、この利益はもとの約束手形の割引による現金取得の利益とはまた別個のもので、しかも別個の新たな詐欺行為に基づくものであるから、原判決がこれを得た行為を同条項に該当するものとしたのはまことに正当で、論旨は理由がない。(新関勝芳 中野次雄 伊東正七郎)

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